八王子の裏歴史|都内唯一!?田町遊郭の元妓楼と大和田橋の空襲痕

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大和田橋に残る「八王子空襲」の爪痕
田町から浅川沿いへ出ると、大きな「大和田橋」が架かっています。ここには八王子空襲の生々しい記憶が刻まれています。
空襲の際、猛火から逃れようと多くの市民がこの大和田橋の下へ避難し、命を救われました。


橋の歩道をよく観察すると、色の異なるタイルが埋め込まれていることに気づきます。何も知らなければ、単なるデザインのように見えてしまいますが、これは空襲時にB-29から投下された「M50焼夷弾」が橋に直撃した着弾痕(全17カ所)を示すもの。


うち2カ所は透明なガラス板で保護されており、足元を覗き込むと、ちょっと見えにくいですが80年前に焼夷弾が橋のコンクリートを削り取った生々しい傷痕を直接確認することができます。日常の風景の中に静かに残された、非常に重みのある戦争遺跡です。

もう一つの裏歴史「大和田刑場跡」
大和田橋の周辺(浅川河川敷付近)には、もうひとつ古い歴史が隠されています。
江戸時代、ここには多摩地域の罪人を処刑するための「大和田刑場」がありました。鈴ヶ森刑場(現:品川)や小塚原刑場(現:南千住)と並び「江戸の三大刑場」と呼ばれることもあります(が、他2つと比べて江戸市中から離れすぎているので、同列に並べるのはちょっと違うかなというのが個人的な所感です)。
現在は住宅街や河川敷となっており、目立った遺構は残されていません。かつては慰霊碑があったそうですが、それも撤去されてしまいました。それでも、現代の穏やかな街並みの下に幾重もの歴史が眠っていることを実感させてくれます。

まとめ|八王子の街に残る「裏歴史」
八王子の田町・大和田エリアを巡る散策。
- 明治の大火から生まれた「田町遊郭」と稀少な戦前妓楼
- 占領下の記憶を留める「RAA」と「赤線」の変遷
- 惨禍を今に伝える大和田橋の「焼夷弾跡」
- 江戸の影を宿す「大和田刑場跡」
ほんのわずかなエリアの中に、江戸・明治・昭和という異なる時代の歴史がぎっしりと凝縮されていました。
八王子を訪れた際には、こうした場所にも目を向けてみると面白いかもしれません。




