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なぜ道路が楕円?松江の住宅街に隠された“消えた競馬場”の歪な記憶

島根県の松江競馬場跡
chinspotwalker

島根県松江市。

宍道湖に沈む夕日と嫁ヶ島を一緒に撮影できる名スポットにやってきました。
……が、この日はあいにくの曇り空。
期待していた絶景は見られませんでしたが、湖面に霧がかった風景はどこか中国の水墨画のようでもあり、これはこれで味があります。

島根県の松江の宍道湖
宍道湖と嫁ヶ島

日本競馬の歴史と松江競馬場

さて。今回の本当の目的地は、そこからほど近い「浜乃木」という、一見どこにでもある住宅街です。しかし、町内案内図をじっと見ていると、ある“異変”に気づきます。

島根県の松江競馬場跡
浜乃木の町内看板

住宅街をぐるっと囲むように、道が綺麗な楕円形を描いているのです。
実はここ、かつて「松江競馬場」が存在した場所。
現在はのどかな住宅地ですが、よく見ると今でも競馬場の“走路(コース)”が、そのまま街の骨格として生き続けています。

ここで少し、日本競馬の歴史を遡ってみましょう。

日本における競馬の歴史は古く、奈良時代や平安時代には、神事として「競馬(くらべうま)」が行われていました。
現在のような西洋式競馬が始まったのは、1860年の横浜外国人居留地。さらに1867年には横浜・根岸で本格的な競馬が開催され、この場所は現在「日本競馬発祥の地」として知られています。

ちなみに根岸競馬場には、1930年建築の「一等馬見所(観覧スタンド)」が今も巨大な廃墟として残っており、廃墟好き界隈では有名スポットになっています。

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また、1870年には東京招魂社(現在の靖国神社)でも、日本人の手による初の近代競馬が開催されました。靖国神社の参道がやたら長いのには、そんな歴史も関係しています。

靖国神社の参道

わずか8年で消えた、西日本随一のスタジアム

そんな競馬熱が高まる中で、1929年(昭和4年)に誕生したのが「松江競馬場」です。
コースは1周1000m、幅約16m。
当時は「関西(西日本)随一の競馬場」と呼ばれるほど立派な施設だったそうです。
オープン当初は客足も好調でしたが、昭和恐慌や戦争への足音が近づくにつれ、1934年以降は徐々に衰退。開場からわずか8年後の1937年、時代の波に呑まれるようにして、その短い歴史に幕を閉じました。

現在、この場所を歩いても、「ここが競馬場だった」と示すものはほとんど残っていません。
しかし、宝探しのように街を観察すると、微かな痕跡が見つかります。例えば、電柱に取り付けられたプレート。そこには今も“競馬場”の文字が現役で残されているのです。

島根県の松江競馬場跡
電柱に残る「競馬場」の文字

そして、何より雄弁なのが「航空写真」です。
1960年代の写真では、周囲にまだ住宅が少なく、楕円形の走路跡がくっきりと確認できます。

驚くべきことに、家々が密集した現代の航空写真を見ても、その周回コースの輪郭はほぼ当時のまま。実際に歩いてみると、道路が不自然なほどなだらかなカーブを描き続けており、「確かにここを馬たちが猛スピードで駆け抜けていたんだ」と肌で実感できる不思議な感覚に陥ります。

島根県の松江競馬場跡
1960年代の航空写真(国土地理院より)
島根県の松江競馬場跡
2020年代の航空写真(国土地理院より)

80年の時を超えて、住宅街に生き続ける「土地の記憶」

ここは実際のコーナー付近。

島根県の松江競馬場跡
第1コーナー
島根県の松江競馬場跡
第2コーナー
第3コーナー
第4コーナー

このように「走路の痕跡がほぼ完全な形で残っている競馬場跡」は、全国的にも極めて珍しいそうです。そう聞くと、なんの変哲もないアスファルトの道が、急に特別な歴史の証言者に見えてくるから不思議ですよね。

競馬場という巨大なエンターテインメント施設は消え去っても、その“形”だけは住宅街の中に生き続ける。松江競馬場跡は足元に眠る「土地の記憶」を体感できる、ちょっと異色な珍スポットでした。

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スポット情報・アクセス

・訪問スポット:松江競馬場跡
・住所:島根県松江市浜乃木1-11-74(Googleマップで開く
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