四国

徳島“地層”散歩|シャッター街、屋上遊園地、歓楽街、そして…

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踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損

ということで、徳島と言えば「阿波踊り」が全国的に有名ですが、今回はJR徳島駅から南へ向かって数キロ圏内を縦断。
地方都市の盛衰が刻まれたシャッター街、奇跡的に生き残った昭和の屋上遊園地、武家地から変貌を遂げた現役の歓楽街、そして遊郭の記憶を今に伝えるディープなエリアまで、徳島という街の「奥行き」を歩いてきました。

徳島駅前に広がる「ポッポ街商店街」

まず訪れたのは、JR徳島駅の目の前に位置する「ポッポ街商店街」です。
1971年(昭和46年)に誕生した歴史あるアーケード商店街で、駅を出てすぐという一等地、本来なら街の顔として最も活気にあふれているべき場所にあります。

しかし、一歩足を踏み入れると、そこには多くの店舗がシャッターを下ろした静寂が広がっていました。
地方都市の商店街衰退の原因としてよく挙げられるのが、郊外型ショッピングモールの進出です。さらに徳島の場合、1998年に明石海峡大橋が開通したことで、神戸や大阪へのアクセスが飛躍的に向上しました。
その結果、人や消費が大都市圏へ流出する「ストロー現象」が起きたと言われています。

ポッポ街商店街
ガラんとしたアーケード内

県庁所在地の駅前という一等地でありながら、空きテナントが目立ち、商店街の2階部分に至っては長い長いシャッター街が続いています。
特に切なさを誘うのが、商店街のマスコットキャラクター「ポッポ君」です。現在、ポッポ君のシールが貼られている場所は「空き店舗」を示しており、そのシールの多さ自体が、現在の商店街の置かれた厳しい状況を無言で物語っていました。

シャッターだらけの2階(階段のぼって右側)
ポッポ君のシールの貼ってあるところは空き店舗
シャッターだらけの2階
(階段のぼって左側)

昭和の百貨店文化を今に伝える「アミコ屋上プレイランド」

徳島駅前には、もう1つ見逃せない昭和スポットがあります。
それが「アミコ屋上プレイランド」です。

アミコ屋上プレイランド


現在のアミコ東館は、かつて「そごう徳島店」が入居していた商業施設。その屋上にある遊園地は、そごう徳島店の開業と同じ1983年(昭和58年)に誕生し、最盛期には1日500組以上の家族連れで賑わいました。

かつて百貨店文化の象徴だった「屋上遊園地」ですが、百貨店自体の衰退とともに、今や全国で絶滅寸前となっています。

しかし、この場所は違いました。2020年8月にそごう徳島店が撤退した際、一度は歴史に幕を下ろしたものの、「思い出の場所を残してほしい」という地域住民の熱い声に押され、わずか3カ月後に奇跡の営業再開を果たしたのです。全国でも極めて珍しい、“地域に愛されて生き残った屋上遊園地”です。

屋上へ上がると、そこには昭和の時代から完全に時間が止まったかのようなノスタルジックな光景が広がっていました。

  • 幼児向けの乗り物ゲーム
  • 定番の「ワニワニパニック」
  • メダルゲーム「ジャンケンマン」
  • 「行け!稲中卓球部」にも登場するパンダ型の乗り物

昭和世代なら誰もが胸を締め付けられるような遊具や筐体が、今も現役で並んでいます。
もちろん小さな子どもたちの遊び場ですが、それ以上に大人たちが「ノスタルジーの致死量」にやられてしまう空間です。何より、強烈な陽射しを長年浴び続けて絶妙に色褪せたプラスチックの質感が、かえって愛おしく、ピカピカの最新ゲーム機にはない強烈なロマンを放っていました。

アミコ屋上プレイランド

夜の徳島を支える栄町・鷹匠町

駅前のレトロな余韻を後にし、続いて向かったのは、徳島随一の歓楽街として知られる栄町・鷹匠町エリアです。

駅前のポッポ街商店街とは対照的に、こちらには飲食店や居酒屋の看板がびっしりと並び、街全体に独特の熱気が漂っています。ランドマーク的存在である「アクティ21」(所在地は紺屋町)の周辺には飲食店が密集し、昼間は静かなものの、夜になれば徳島有数の繁華街として賑わいを見せます。

アクティ21

さらにこのエリアには飲食店だけでなく、風俗店やナイトレジャー関連の店舗も集まっており、現在では徳島最大級の歓楽街としての性格を色濃く残しています。

そんな街を歩いていると気になるのが、「鷹匠町」という歴史を感じさせる地名です。
鷹匠とは、江戸時代に藩主の鷹狩で使用する鷹を飼育・調教していた武士のこと。かつてこの一帯には鷹匠たちの屋敷が集まっていたことから、「鷹匠町」という地名が生まれました。
つまり現在の歓楽街は、もともと武士たちが暮らしていた武家地だったのです。

その後、隣接する町人地・富田町の発展や交通の利便性などを背景に、鷹匠町は次第に繁華街へと姿を変えていきました。殿様の鷹を扱う武士の町が、飲食店や歓楽施設が集まる街へ――。
江戸時代から現代にかけて、これほど劇的に街の性格を変えた例は珍しいかもしれません。

鷹匠町名物の柳

遊郭の記憶を残す秋田町

歓楽街の熱気を抜け、さらに南の最深部へと足を進めると「秋田町」エリアに到達します。

秋田町の入口で出迎えてくれるのは、「ヤラカスシティホール」という、一度聞いたら忘れられない名前の葬儀場。そんな強烈な名前の建物を横目にさらに進むと閑静な住宅街が広がっていますが、この場所にはかつて「秋田町遊郭」が存在していました。

ヤラカスシティホール

昭和5年発行の「全国遊郭案内」によると、この地には明治時代に遊郭が設置され、昭和初期には妓楼83軒、娼妓250人を抱える大規模な花街だったとされています。
しかし戦災によって一帯は壊滅的な被害を受けました。
戦後、北側の栄町や鷹匠町が歓楽街として発展していく一方で、秋田町の旧遊郭エリアは徐々にその役目を終え、住宅地へと姿を変えていきます。

ところが、その歴史が完全に消え去ったわけではありません。
現在も一部には、いわゆる「ちょんの間」と呼ばれる形態の店舗が残っていることで知られています。利用料金は30分1万円。それ以上の詳細は、部外者には容易にうかがい知ることはできません。
ただひとつ確かなのは、この一画が徳島の近代史や風俗史を語るうえで欠かせない“都市の死角”だということです。


表通りを歩いているだけでは見えてこない街の記憶が、令和の今もひっそりと息づいていました。

まとめ|数キロの徒歩圏内に刻まれた「時代の地層」

徳島駅から南に数キロ歩いて感じたのは、1つの街の中に異なる時代が幾重にも重なっているということでした。

ポッポ街商店街には地方都市の栄枯盛衰が刻まれ、アミコ屋上プレイランドには昭和の屋上遊園地文化が今も息づいています。
一方で、栄町・鷹匠町には、かつて藩主の鷹を扱う武士たちが暮らした町の歴史があり、秋田町には遊郭から続く歓楽街の記憶が残されています。

江戸、昭和、そして現代。

それぞれ異なる時代の痕跡が、わずか数キロ圏内に同居しているのです。

阿波踊りや鳴門の渦潮といった観光名所ももちろん魅力的ですが、街を少し歩いてみると、ガイドブックには載りにくい徳島のもうひとつの顔が見えてきます。
徳島は想像以上に“時代の地層”が見える街でした。

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スポット情報・アクセス

・訪問スポット:ポッポ街商店街、アミコ屋上プレイランド、栄町&鷹匠町、秋田町
・住所:
徳島市寺島本町西1丁目 駅前ポッポ街(ポッポ街商店街)
徳島市寺島本町西1-5 アミコ東館10F 屋上(アミコ屋上プレイランド)
徳島市栄町&鷹匠町
徳島市秋田町5-56(ヤラカスシティホール)

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