原爆からわずか3年後に誕生|日本最古級の広島市営平和アパート

広島駅から南西へ約2km。
住宅街の一角に、年季の入った集合住宅が建っています。
一見するとどこにでもある古い団地ですが、この「広島市営平和アパート」は、戦後広島の住宅史・建築史を語るうえで極めて重要な建物です。
今回は、そんな「広島市営平和アパート」を紹介します。

原爆投下から3年、広島市初のRC造市営住宅
1945年8月6日の原爆投下によって市街地が壊滅した広島では、深刻な住宅不足から街に多くのバラックが立ち並んでいました。この状況を解消し復興を進めるため、鉄筋コンクリート造の公営住宅建設が計画されます。
平和アパートは、広島に原爆が投下されてからわずか3年後の1948年度に着工し、1949年3月に1号棟が完成。続いて2・3号棟も建てられ、現在の3棟構成となりました。


広島市立中央図書館の資料によると、広島市で初めて建設された鉄筋コンクリート(RC)造の市営住宅だそうです。木造住宅すら不足していた当時、完成したアパートは先進的なモダン住宅であり、入居募集には20倍を超える応募が殺到したそう。
焼け野原となった広島で、人々が新しい暮らしを始めるために建てられた住宅。
そう考えると、完成当時この建物がいかに大きな期待を集めていたのかがわかります。



「平和」の名と、原爆詩人・峠三吉の記憶
「平和アパート」という名称には、恒久平和と焦土からの復興への願いが込められています。
また、このアパートは原爆詩人として知られる峠三吉が暮らした場所でもあります。
峠三吉は1950年から、亡くなる直前の1953年までこのアパートで生活していました。敷地内には彼を忍ぶ記念碑が設置されています。


アパートの目の前には京橋川が流れており、峠三吉はこの部屋の窓から川を眺め、「原爆詩集」に収録された詩「河のある風景」を詠んだとされています。
70年以上の時を経ても、ここから見える川の風景は、当時と変わらないのかもしれません。


全国に5棟しか残っていない「48型」
建築史の観点から見ても、平和アパートは非常に希少な存在です。
平和アパートは3棟ありますが、北側の1号棟が1948年度に設計された「48型」。
一方、2・3号棟は翌年度の「49型」です。
「48型」とは、戦後復興期に建設された鉄筋コンクリート造の公営住宅の標準設計の1つ。
全国各地に建設されましたが、老朽化による解体が進み、現在全国に残っているのは以下の5棟とされています。
- 静岡市営羽衣団地:2棟
- 広島市営平和アパート:1棟
- 下関市営清和園住宅:1棟
- 旧長崎県営魚の町団地:1棟
※福岡市「店屋町アパート」を含めて6棟とする場合もある
現在の集合住宅では当たり前にある「ベランダ」が設置されていないなど、初期RC住宅ならではの構造的特徴を今に伝えています。



住民の方に屋上を見せてもらう
今回、現地で撮影をしている際に住民の方とお話しする機会があり、屋上を見せていただくことができました。その際、住民の方からは

「新規募集をしておらず空き家が増えている」
「取り壊しが決まっている」
といった現実的な話もうかがいました。


耐震性や老朽化の問題から今後の解体・再整備が検討されているため、この貴重な建築が今後どう保存・記録されていくのかが注目されます。
全国にわずか5棟しか残っていない「48型」の1つであり、広島の戦後復興を物語る建築が今後どうなるかは気になるところです。

まとめ|原爆ドームとは異なる“戦争の記憶”
広島市営平和アパートは、単なる古い市営住宅ではありません。
- 原爆投下から3年で建てられた復興住宅
- 広島市初のRC造市営住宅
- 全国に5棟しか現存しない「48型」の1棟
- 当時、20倍を超える応募が殺到した人気住宅
- 峠三吉が最晩年を過ごし、詩を詠んだ場所
- 「平和」という名前に込められた復興と平和への願い
原爆ドームや平和記念公園のような被爆遺構とは異なり、焼け野原から人々が生活を再建していった「戦後復興の営み」をそのまま残す貴重な建築です。
広島というと、「原爆ドーム」や「平和記念公園」といった被爆遺構に目が向きがちですが、こうした何気ない街角にも、戦後の広島が歩んできた歴史が刻まれています。
平和アパートも、そんな“街角に残る歴史”の1つと言えるでしょう。
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スポット情報・アクセス
・訪問スポット:広島市営平和アパート
・住所:広島県広島市中区昭和町8-2(Googleマップで開く)
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