博多・柳町遊郭跡レポ|遊女の個人墓と清川ロータリーの裏歴史

屋台が並ぶ那珂川、ネオンがきらめく中洲、そして豚骨ラーメンの香り。
西日本を代表する繁華街である福岡・博多には、御多分にもれず遊郭の歴史がありました。
豊臣秀吉が整備した「柳町遊郭」、そして明治時代に移転した「新柳町遊郭」。
現在ではその姿はほとんど失われていますが、街を歩くと、今も遊郭時代の記憶を感じさせる建物や史跡が微かに残っています。
今回は、博多に残る2つの遊郭跡を歩いてきました。
豊臣秀吉の町割りから始まった「柳町遊郭」
最初に訪れたのは、地下鉄呉服町駅からほど近い大博町・下呉服町周辺です。

柳町遊郭の始まりは、豊臣秀吉による博多の町割りにまで遡ります。
戦乱によって荒廃した博多を再建するにあたり、秀吉は市中に点在していた遊女屋をひとつのエリアへ集約させました。それが博多の町外れ、御笠川の河口付近に築かれた「柳町遊郭」です。
名称は、秀吉が京都に設けた柳町遊郭に由来すると言われています。
現在も電柱には「柳幹」のプレートが残り、この場所がかつて遊郭だったことをさりげなく伝えています。


ただし、遊郭そのものの痕跡はほとんど残っていません。
1911(明治44)年、九州帝国大学医科大学(現:九州大学医学部)の設置が決まり、遊郭は現在の清川地区へ移転したためです。
それでも細い路地を注意深く観察すると、明治期の面影を残す古い町家が静かに佇んでおり、かつて大名や商人たちが袖を引かれた色街の残り香が、そこはかとなく漂っているように感じられます。



遊女個人の墓が残る「選擇寺」
柳町遊郭跡からほど近い「選擇寺」には、この街の歴史を語る上で見逃せない極めて貴重な史跡が眠っています。
本堂の裏手にひっそりと残る、遊女の個人墓です。


全国の遊郭跡には、身寄りのない遊女たちを一括で葬った「投げ込み寺」や共同の供養塔は多く見られますが、個人の墓石が現代まで残されている例は非常に稀です。
墓石には、幕末の1861年、わずか19歳という若さでこの世を去った遊女「雪友」の名が刻まれています。木板には「名娼」の文字も刻まれており、雪友が当時かなり名の知れた遊女だったことがうかがえます。

明治に誕生した「新柳町遊郭」
続いて訪れたのは、現在の中央区清川。
ここが明治44年に移転した新柳町遊郭の跡地です。
すぐ脇を流れる那珂川の下流には、現代の歓楽街「中洲」が位置しており、博多の歓楽街の歴史がこの周辺から連続していることを感じさせます。

行政地名から「新柳町」の名は消えてしまいましたが、「柳橋連合市場」という市場や「柳橋」という交差点名に、その歴史が今も残されています。
その新柳町遊郭を代表する妓楼が「三光園」でした。
広さ約600坪を誇る巨大な妓楼で、その後は料亭として約100年にわたり営業を続けましたが、新型コロナウイルス流行の影響もあり、2020年に惜しまれつつ閉業。
私が2025年5月に訪れた際には、まだ堂々たる木造建築が残っていました。しかし、その後解体され、現在はその姿を見ることはできないと教えてもらいました。
遊郭跡周辺では再開発が進み、高層マンションが建ち並んでいるのが現状です。





ただ、目を凝らせばその隙間には遊郭時代を想起させる建物も数多く見られます。
敷地内に商売繁盛の稲荷神社を大切に祀る古い旅館「三森屋」。
モザイクタイルや半円形の窓を備えた、まるでお手本のようなカフェー建築。
パステルグリーンの装飾をまとった洒落た建物。
遊郭そのものは失われても、昭和初期の歓楽街らしい建築文化は今も街角に息づいていました。





遊郭の中心だった「大門通り」と清川ロータリー
新柳町遊郭の中心部は、現在の清川ロータリー付近でした。

ここには「大門通り」という名前が今も電柱表示に残っており、江戸吉原や名古屋の中村遊郭と同じく、かつてここに色街と外界を隔てる巨大な正門が存在したであろうことをうかがわせます。交差点付近には「小松屋」などの妓楼が建ち並んでいました。
また古い町家をリノベーションした宿泊施設「町屋ヴィラ清庵」が営業しており、遊郭時代の建物が新たな形で活用されています。


清川ロータリーには、こんな都市伝説も残されています。
かつてこの場所には井戸があり、遊郭を訪れる客の馬のための大きな水飲み場として使われていました。
その井戸へ亡くなった遊女を投げ込んでいたため、戦後の開発時に井戸を撤去しようとすると度重なる怪異が起き井戸を撤去できなかった。そのため、井戸を避けるようにして現在の円形ロータリーが作られたのだという――。
もちろん史実を裏付ける資料はなく、信憑性は極めて低い噂話に過ぎません。
しかし、このような伝説が語り継がれてきたこと自体、この場所が長く「色街」として人々の記憶に刻まれてきたことを逆説的に証明していると言えるでしょう。
まとめ|博多に眠るもう1つの歴史
現在の博多は、九州最大の繁華街として発展を続けています。
その一方で、豊臣秀吉が整備した柳町遊郭、そして新柳町遊郭の歴史は、街の再開発とともに少しずつ姿を消してきました。
それでも、古い建物や橋の名前、遊女の墓などをたどって歩けば、この街がかつて東アジア有数の港町であり、多くの人が行き交う歓楽街でもあったことが見えてきます。
中洲で夜の賑わいを楽しむ前に、そのルーツともいえる博多の遊郭跡を歩いてみると、福岡という街が少し違って見えてくるかもしれません。

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スポット情報・アクセス
・訪問スポット:選擇寺(外部リンク:公式サイト)
・住所:福岡市博多区中呉服町9-21(Googleマップで開く)
・訪問スポット:清川ロータリー(新柳町遊郭跡)
・住所:福岡市中央区清川2-12-12(Googleマップで開く)
・全国珍スポMAP(ジャンル別に絞り込みできます)







