田町・三田の珍スポット巡り|蟻鱒鳶ルやクウェート大使館を探訪

東京都港区・田町駅周辺といえば、オフィスビルが立ち並ぶビジネス街というイメージが強いかもしれません。
しかし、駅から少し足を延ばしてみると、昭和の巨匠が遺した異形建築、20年の歳月をかけて完成したセルフビルド建築、そして江戸初期の歴史を静かに伝える史跡まで、個性豊かなスポットが徒歩圏内に点在しています。
今回は、田町〜三田エリアの知られざる魅力を巡る散策スポット3選を紹介します。
駐日クウェート大使館|丹下健三が手がけた近未来の異形建築
最初に訪れたのは、聖坂沿いにある駐日クウェート大使館です。

1970年に竣工したこの建物は、日本を代表する建築家・丹下健三氏が設計を手がけました。
大使館は、大使公邸と大使館事務所で構成されています。しかし敷地に余裕がなかったため、建物を平面的に配置するのではなく、立体的に積み重ねるという大胆な設計が採用されました。

下層部が大使館事務所、上層部が大使公邸となっており、中央部が大きくくびれて上部が宙に浮いているかのような独特のシルエットは、建築ファンでなくとも思わず足を止めて見入ってしまう迫力があります。近未来の基地のようでもあり、どこか超合金ロボットや土偶を思わせる愛らしい異形感も漂わせています。
一時は解体の危機も囁かれましたが、改修を経て見事に維持されており、半世紀以上が経った今もなお強烈な存在感を放っています。
蟻鱒鳶ル|20年の歳月をかけた「三田のサグラダ・ファミリア」
クウェート大使館から歩いてすぐの場所にあるのが、異彩を放つコンクリートの造形物・蟻鱒鳶ル(ありますとんびル)です。

無骨なコンクリートの表面に無数の凹凸やテクスチャが刻まれたこの建物は、建築家・岡啓輔氏が仲間たちとともに自らの手で作り上げたセルフビルド建築。もはやビルというよりも古代遺跡か巨大な彫刻作品のようです。
2005年11月に着工し、当初は2〜3年で完成する予定でした。
しかし建築は即興的に進められ、工期は20年以上に及びます。
そのため、
- 三田のガウディ
- 三田のサグラダ・ファミリア
とも呼ばれるようになりました。

そして2026年3月、行政の完了検査を通過し、建築基準法上の“完成”を迎えました(ここからさらに手を加える可能性も)。
Googleストリートビューで過去を振り返ると、この建物が生命体のように少しずつ姿を変えてきた様子が確認できます。



「蟻鱒鳶ル」という名前の由来
少し変わった建物名にも意味があります。
- 「あります」という肯定的な言葉
- 「ヒルトン」などに由来する「とん」
- 陸・海・空を表す「蟻・鱒・鳶」
- 建築家ル・コルビュジエの「ル」
これらを組み合わせて名付けられた造語なのだそうです。
実は2017年、この一帯は再開発区域に指定されました。
そのため蟻鱒鳶ルも取り壊しの危機を迎えます。
しかし、多くの支援者や交渉により、建物を壊さず丸ごと約10mスライドさせる「曳家」という工法を用いて保存されることになりました。


建物自体もインパクトがありますが、「建物を丸ごと移動した」というエピソードまで持っているのですから驚きです。

元和キリシタン遺跡|都会のビル影に眠る江戸初期の記憶
蟻鱒鳶ルからほど近いマンションの裏手、小高くなった緑の敷地に静かに佇むのが「元和キリシタン遺跡」です。


近代的な建築が立ち並ぶ三田の地ですが、ここは400年前の江戸初期、壮絶なキリシタン弾圧の現場となった場所。徳川家光の時代である1623(元和9)年、この場所(東海道を見下ろす高輪の丘)で、約50名のキリシタンが処刑されました。
その約15年後にもキリシタンの処刑が行われたといいます。
なお、その前年にあたる元和8年(1622年)には長崎で55人が処刑された「元和の大殉教」も起きており、江戸幕府によるキリスト教弾圧の厳しさを物語っています。

敷地内には慰霊碑が建ち、静かな空気が流れています。
聖パウロ女子修道会の解説によれば、正面にある石垣は、当時の刑場があった高輪大木戸の石垣の一部と伝えられています。

周囲では再開発が進む一方で、この場所だけは江戸初期の歴史を今に伝え続けています。
まとめ|田町駅から歩いて巡れる個性派スポット
田町駅周辺には、オフィス街という日常の顔のすぐ裏側に、
- 丹下健三が設計した異形建築「駐日クウェート大使館」
- 20年以上かけて完成したセルフビルド建築「蟻鱒鳶ル」
- 400年の歴史を刻む「元和キリシタン遺跡」
という、まったく異なるバックグラウンドを持つ空間が密集しています。
田町駅や三田駅を訪れた際は、ぜひ少し足を延ばして、この街の知られざるコントラストを体感してみてはいかがでしょうか。






