広島・一楽旅館|遊郭の面影を残す老舗旅館の内部に潜入

広島駅から路面電車で2駅。銀山町電停を降りると、飲食店や風俗店が集まる薬研堀エリアへと続いていきます。この一帯はかつて「下柳町」と呼ばれていた地域で、明治時代から東遊郭として発展した歴史を持っています。
今回は、そんな旧東遊郭の一角に建つ、戦後の赤線時代から続く老舗旅館「一楽旅館」を訪ねました。

軍都・広島の発展と「東遊郭」の誕生
広島の歓楽街の歴史をたどるには、まず「軍都」としての発展を知る必要があります。
1873(明治6)年の徴兵令を経て、同年には全国六鎮台(※日本陸軍の地方司令部)の1つとして広島鎮台が広島城に置かれました。その後、1888(明治21)年には第五師団へと改編され、広島は軍事都市として発展していきます。
さらに1894(明治27)年に日清戦争が始まると、軍の最高統帥機関である大本営が東京から広島へ移設。全国から兵士や軍関係者、労働者などが集まったことで、広島の人口や消費需要は急激に膨らんでいきます。こうした背景の中、1895(明治28)年に下柳町(現在の銀山町・薬研堀・橋本町周辺)に公娼地域として「東遊郭」が置かれました。


1930(昭和5)年発行の「全国遊廓案内」によれば、東遊郭には妓楼が約40軒あり、娼妓は250~260人ほどいたとされています。
現在の薬研堀周辺が広島を代表する歓楽街となった背景には、こうした歴史があります。
原爆で消滅した東遊郭
1945(昭和20)年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。東遊郭も被爆によって大きな被害を受け、戦前の遊郭建築は失われます。戦後、1946(昭和21)年にはGHQの指令によって公娼制度が廃止され、従来の遊郭制度は終焉を迎えます。
一方で、その後も特殊飲食店という形で売春を伴う営業が行われる地域が各地に生まれ、いわゆる「赤線」が形成されていきました。特殊飲食店とは、公娼制度廃止後から売春防止法の完全施行までの時期に、売春婦を置いて営業していた飲食店を指します。しかし1958(昭和33)年に売春防止法が完全施行されると、こうした営業も終わりを迎えました。現在の銀山町・薬研堀周辺には、当時から続く建物はほとんど残っていません。





そんな街の一角に、戦後の赤線時代から続く建物として残っているのが一楽旅館です。

戦後に建てられた一楽旅館
一楽旅館は1947(昭和22)年に建てられ、1950(昭和25)年に開業しました。なので、厳密に言うと戦前の東遊郭時代から残る建物ではありません。
一楽旅館自身も、1946年の公娼制度廃止によって遊郭という制度が終わったため、創業時から遊郭だったわけではなく、赤線時代の「特殊飲食店」として営業していたと説明しています。
当時は多くの男女が逢瀬のために利用され、言わば「連れ込み宿」のような場所だったと考えるとイメージしやすいでしょう。
その後、1958(昭和33)年の売春防止法完全施行を境に特殊飲食店としての営業を終え、旅館として現在に至っています。
なお、現在の建物は一度にすべて建てられたものではありません。
東側の主棟(1950年開業時)と、西側の増築棟(1958年増築時)で構成されています。

一楽旅館の館内へ
玄関を入ると、外の街並みとはまったく異なる独特の空間が広がっています。
一番の特徴が、建物の中央に設けられた池。この池を囲むように廊下がめぐり、その上部は吹き抜けになっています。これは1958年の増築時、もともと敷地内にあった庭園の池を取り囲む形で建物を配したためです。

2階には波形の曲線を描いた欄干が巡らされ、中央の吹き抜けを囲むように回廊が続いています。さらに屋根部分には採光のための波板が使われており、昼間は柔らかな光が館内に差し込むよう工夫されています。


この光と木造建築の組み合わせが、何ともいえない落ち着いた雰囲気を作り出していました。
細部に残る昭和和風建築の意匠
館内を歩いていると、さまざまな場所に細かな装飾が施されていることに気付きます。
瓢箪型や扇型にくり抜かれた下地窓や、竹を使った丸窓、部屋の前の小さな庇など、随所に凝った造りが見られます。





こうした細部を見ると、単なる「古い旅館」というより、昭和の建築文化をそのまま体験できる場所だと感じます。

「ばらの間」に宿泊
今回宿泊したのは「ばらの間」。
6畳に床の間が付いた、昔ながらの和室です。
窓から淡い光が差し込み、館内の静けさも相まって、どこか郷愁感を誘います。ハンガーラックとして使われている衣紋掛けは、開業当時から使われているものだそうです。調度品にも長い年月が刻まれています。


そして部屋の中には、和風のベッドも置かれていました。

戦後の赤線時代から現在まで、この場所で数多くの男女が逢瀬を重ねてきたことを想像すると、言葉では表し尽くせない感慨深さがあります。
まとめ|昭和の建築遺産に宿泊する経験
一楽旅館は、一般的なビジネスホテルとはかなり性格が異なります。
洗面台やトイレは共同で、階段を歩けば軋む音が聞こえます。設備の新しさや快適性を求める人には向いていないかもしれません(※トイレや風呂はリフォーム済)。
旅館側も「日本文化や歴史的建築に関心をお持ちの方のご利用を歓迎しております」と案内しています。
一方、僕のように古い建築や街の歴史を見るのが好きな人間には、非常に相性のいい宿でした。建物そのものを目的に泊まりに来る。そんな楽しみ方ができる旅館です。
建物自体も築70年以上となり、一度失われれば、同じ建物をそのまま再現することはできません。全国でも珍しいこの赤線時代の木造旅館が、これからもできるだけ長く残っていくことを願っています。








