全国に5棟だけ!約80年前の団地が残る下関「清和園住宅」

港湾都市として発展してきた山口県下関市には、戦後復興の軌跡を示す建築が今も点在しています。
今回は、下関駅前の戦後商店街・市場群を経由し、1948年に建設された全国的にも希少な鉄筋コンクリート造(RC造)の公営住宅「清和園住宅」を巡りました。
下関駅前のコリアンタウン「グリーンモール」
下関駅北口から目と鼻の先に位置するのが、約800mのアーケード沿いに約130店舗が並ぶ「グリーンモール」です。「リトル釜山」とも言われるグリーンモールにはコリアンフード店や食料品店が軒を連ね、歴史的・地理的に韓国・朝鮮文化と関わりの深いエリアとして知られています。
第2次世界大戦後、線路の跡地に形成された闇市が起源で、1976年に下関駅周辺の再開発事業の一環として整備されました。

このアーケード街の中でひときわ大規模な構造物としてそびえるのが、1972(昭和47)年に竣工した「下関コープビル」です。
鉄骨鉄筋コンクリート造の10階建てで、現在も住宅として利用されています。
訪問したタイミングでちょうど入居者を募集していて、62平米4DKで家賃は4万円でした。


「幽☆遊☆白書」のロケ地にもなった竹崎長門市場
下関コープビルからJRの線路を挟んだ西側に位置するのが、「スーパー長門」(閉店)および「竹崎長門市場」です。

これらの建物は1963〜64年頃に建てられたんですが、長い年月を経たコンクリートの質感や、使われなくなった店舗の雰囲気には、現代の商業施設ではなかなか出せない独特の味があります。



なお昭和の香りを色濃く残す独特の景観は、Netflixシリーズ「幽☆遊☆白書」のロケ地にもなりました。劇中では皿屋敷市の商店街として登場しています。
80年近く残る「清和園住宅」
竹崎エリアから北上し、下関駅から約3km離れた幸町の丘陵地へ向かうと、今回の目的地である「清和園住宅」に到着します。


清和園住宅は1948(昭和23)年に着工された、1棟48戸で構成される鉄筋コンクリート造の公営住宅です。この「48型」は、第二次世界大戦後の深刻な住宅不足を解消し、都市の不燃化を推進する先駆け的な存在でした。
2024年に日本建築学会が発表した「1948年度着工のRC造公営集合住宅の建設・生活実態に関する研究」によると、48型は当時全国で計74棟1,934戸が建設されました(※建設省の公表だと1,725戸で差異がある)。
しかし、老朽化による解体・撤去が各地で進んだ結果、確認されている48型住宅の現存例は以下の5棟のみとなっています。
- 静岡市営羽衣団地:2棟
- 広島市営平和アパート:1棟
- 下関市営清和園住宅:1棟
- 長崎県営魚の町団地:1棟
※店舗併用モデルとして福岡市の「店屋町ビル」をカウントして6棟とする場合も
つまり、この清和園住宅は全国にわずか5棟しか残っていない「48型」の1棟。
戦後日本の標準化RC住宅の黎明期を示す建築実例として非常に高い歴史的・資料的価値を有しています。


改修の軌跡と老朽化に伴う現状
80年近く使われているだけあって、現在の姿は建設当時そのままではありません。
雲板(らんまの一種)や和式便所など、1940年代末の建設当時のディテールも残されていますが、1981(昭和56)年には住戸内に浴室が増築されたほか、窓枠のサッシのアルミ化やキッチンのステンレス化が行われました。
逆に言うと、建設当時の日本には、「毎日風呂に入る」という習慣がなかったことがこの住宅から見えてきます。
同住宅は2010年に入居者の新規募集を停止し、2024年時点での居住戸数は14戸にまで減少。
建物には「天井、壁のコンクリート塊、モルタル片が落下します」といった注意書きもあり、老朽化の深刻さがうかがえます。
それに伴い解体が検討されており、全国にわずかしか残っていない48型の住宅だけに、この先どうなっていくのか気になるところです。



まとめ|下関の街角に現存する戦後建築史の現場
下関のグリーンモール、竹崎長門市場、そして清和園住宅。
- 1948年に設計・着工された戦後最初期のRC造標準住宅「48型」
- 全国に数棟しか現存しない公営住宅史の希少な実例
- 昭和期の市場構造や高度経済成長期のSRC集合住宅の現況
観光地として整備された名所旧跡とは異なり、これらは戦後復興から高度経済成長期にかけて人々が生活を営んできた都市基盤そのものです。下関の街並みには、日本の近代・現代における建築と生活の変遷が、過度な装飾もなく静かに残されています。
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スポット情報・アクセス
・訪問スポット:下関市営清和園住宅
・住所:山口県下関市幸町17-1(Googleマップで開く)
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