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昭和24年創立、戦後の面影残る富山の飲み屋街「新世界」

富山・新世界
chinspotwalker

富山県富山市。
中心市街地の総曲輪エリアから東へわずかに歩を進めると、まるでここだけ時計の針を進めるのを忘れてしまったかのような一角があります。
今回訪れたのは、戦後間もない1949年(昭和24年)に誕生した飲み屋街「新世界」。
昭和の歓楽街文化や戦後復興の記憶を今に伝える、実に味わい深いスポットでした。

「新世界」の看板が放つ圧倒的存在感

総曲輪通りから東へ歩くこと約10分。
路地に現れたのが、「新世界」と大書きされた看板です。
創立は昭和24年。終戦からわずか4年後のことでした。

富山の昭和飲屋街「新世界」
これだけで一見の価値のある看板

戦後復興の熱気が色濃く残る時代に生まれた飲み屋街だけあって、看板からは独特の歴史の重みが感じられます。
個人的には、この看板を見るためだけに訪れる価値があると思えるほどの存在感でした。
戦前、この周辺には北の丁と桜木町という花街が存在していたとされます。しかし1945年の富山大空襲によって市街地の大部分は焼失。その後の復興過程で、この新世界を含む一帯の歓楽街文化が形成されていったようです。
「全国女性街ガイド」によると、「赤線は整理のつかないほど跋扈で、大きいのは東新地の南町仲ノ町。このほか総曲輪周辺に新世界、自由街、楽天地など十ヶ所あり三百名ほどの女がいる」と記載されています。

路地の先に広がる、昭和の飲み屋街

看板の脇を進むと、戦後の盛り場らしい狭い路地の両サイドに飲み屋が密集しています。

富山の昭和飲屋街「新世界」
路地好きにはたまらない光景

取材時は冬期であり、通路や建物と建物の隙間には深い雪が堆積していました。
雪国ならではの光景ですが、これだけ雪が積もると建物同士の距離感まで曖昧になって見えます。
営業を終えた店舗もいくつか見受けられましたが、それでも短い通りには不思議な人のぬくもりが漂っていました。
昼間でも十分魅力的ですが、ネオンが灯る夜にはさらに幻想的な風景が広がるのでしょう。
戦後の歓楽街がそのまま歳を重ねてきたような、独特の情緒があります。

富山の昭和飲屋街「新世界」
反対側からの様子

新世界の隣にある「石倉町」

新世界のすぐ隣には、石倉町と呼ばれるエリアがあります。
こちらにも年季の入った建物が点在しており、街歩き好きにはなかなか見応えがあります。

富山の昭和飲屋街「新世界」周辺
「新世界」隣の石倉町
富山の昭和飲屋街「新世界」周辺
魅力的な建物がちらほら
富山の昭和飲屋街「新世界」周辺
左の店は創業62年の「ふじいお好焼店」
「はしまき」(お好み焼きを箸に巻いた食べ物)を食べられるたこ焼きや「たこや」
遊郭の名残?と想像が膨らみます

そして通りを抜けた先にあるのが「延命地蔵尊」です。
延命地蔵尊の境内では、絶え間なく湧き出る地下水を見ることができます。

富山の延命地蔵尊
延命地蔵尊
富山の延命地蔵尊
龍の口から水が湧き出ている

この水は立山連峰に降った雪や雨が長い年月をかけて地下へ浸透し、湧き出したものとされており、環境省の「平成の名水百選」にも選定されています。
古くから健康や長寿にご利益がある霊水として親しまれ、今でもポリタンクやペットボトルを持参して水を汲みに来る人の姿が絶えません。
地元の方にとっては当たり前の光景かもしれませんが、名水を求めて遠方から訪れる人も少なくないようです。

まとめ|戦後復興の記憶を今に伝える富山の「新世界」

富山の新世界は、

  • 昭和24年創立の戦後飲み屋街
  • 富山大空襲後の復興の歴史
  • 昭和の空気を残す路地空間
  • 延命地蔵尊と名水文化

といった要素が凝縮された、非常に興味深いエリアでした。
華やかな観光地ではないこうした場所にこそ、その街が歩んできた歴史や人々の暮らしが色濃く残っています。
富山の街が戦後どのように立ち上がり、どのように夜の文化を育んできたのか。その痕跡を体感できる場所として、新世界は今なお貴重な存在です。

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スポット情報・アクセス

・訪問スポット:新世界
・住所:富山県富山市中央通り3-2-16(Googleマップで開く
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