山形「小姓町遊郭跡」と「花小路」|東北有数の色街の歴史を辿る

山形県山形市。
美しく整備された現在の中心市街地には、かつて東北地方でも有数の規模を誇った、2つの異なる「色街」が存在していました。
1つは、公認遊郭として栄えた「小姓町遊郭」。
そしてもう1つが、料亭や芸妓文化を中心に育まれた花街「花小路」。
現在はどちらも往時の役割を終えていますが、街を歩くと今なお往時の面影を感じることができます。
今回は山形市に残る2つの色街の痕跡を訪ねてみました。
小姓町の始まり
山形駅から東へ約1kmほどの場所に位置する小姓町。
ここにかつて山形を代表する小姓町遊郭がありました。

そもそも「小姓町」という地名は、山形城を築いた戦国大名・最上義光(1546-1614)の時代にまで遡ります。
小姓とは大名の身辺に仕えた武士のこと。
彼らの屋敷が集まっていたことから小姓町と呼ばれるようになりました。
時代は下り、文政4年(1821年)。
山形藩主・秋元久朝の時代に、市中での遊女屋の営業が許可されます。
そして明治17年(1884年)になり、市内に散在していた貸座敷業者が一画に集められたことで、小姓町遊郭が誕生しました。
この遊郭は、誕生からわずか10年後の明治27年、大火によって焼失してしまいます。
同年には日清戦争が勃発したため、一時は復興が危ぶまれましたが、結果的には以前を凌ぐほどの規模へと拡大されて再建。以降、30軒を超える妓楼が立ち並び、200人以上の娼妓を抱える、東北地方でも有数の大遊郭として繁栄しました。
石畳の下に眠る妓楼の記憶
現在の小姓町を貫くのは、平成元年から2年にかけて、山形市政100周年記念事業の一行として総工費1億3000万円を投じて美しく整備された「石だたみロマンロード21」です。
一見すると風情のある綺麗な散歩道ですが、まさにこの石畳の両側に巨大な木造の妓楼がずらりと並び、さながら東京の「吉原」を思わせる光景が広がっていたと言います。通りに佇む柳の木を眺めていると、どこか吉原の見返り柳がシンクロするかのような錯覚を覚えます。
ほかにも、小姓町には今も遊郭時代を伝える痕跡がかすかに残っています。
長嶋胃腸内科医院は、かつて「長嶋楼」という妓楼だったと伝えられています。
また坂田歯科医院も、もともとは「坂田楼」という妓楼でした。


全国の遊郭跡では、古い妓楼が「旅館」や「飲食店」に転業するケースが大半ですが、ここ小姓町においては、なぜかどちらも医療機関へ転業しているのが興味深いところです。
さらに周辺には、娼妓たちの健康診断(性病検査)を行うための診療所もありました。明治30年建築の木造洋館だったそうですが、残念ながら2018年に解体。
しかし、Googleストリートビューで時計の針を戻せば、
今でもその威風堂々とした白亜の洋館の姿を確認することができます。


昭和34年の地図を見てみる
今回取材する中で手に入れた昭和34年の住宅地図を見ると、小姓町遊郭の名残がより鮮明になります。
石畳の通りに「大門前」という遊郭特有の境界線を示す表記が残り、
前述の「坂田歯科医院」や「診療所」、さらには妓楼から旅館へと転業した「菊清旅館」などの名前を確認することができます。

そして何より興味深いのが、かつて東北最大級とまで謳われた伝説のキャバレー「ソシュウナイトスポット」の文字がクッキリと刻まれている点です。
最盛期には淡谷のり子、黛ジュン、欧陽菲菲といった昭和の歌謡界を代表する大物歌手がこぞってステージに招かれていたというこのキャバレーの存在は、遊郭というシステムが法律によって消滅した後も、この土地が持つ「歓楽の遺伝子」が形を変えて生き残り続けていたことの動かぬ証拠と言えます。
メイン通りの隣の筋に佇む「東前稲荷神社(1664年創建)」の境内案内板には、この小姓町遊郭が辿った栄華と哀しみの歴史がしっかりと記録されています。街の負の側面を隠蔽するのではなく、地域の貴重なアイデンティティとして後世へ語り継ごうとする真摯な姿勢には好感を覚えますね。



花街「花小路」の誕生
続いて向かったのは、小姓町から北に400〜500mほど離れた七日町の一角に佇む「花小路」です。
こちらは遊郭ではなく、芸妓文化を中心とした花街でして、
入り口に掲げられたノスタルジックなアーチが、ここから先が異空間であることを優しく告げています。

前述の「小姓町」が肉体的な欲望を満たす公認遊郭であったのに対し、こちらの「花小路」は、三味線の音色や洗練された芸事で旦那衆を愉しませた純然たる「花街」として誕生しました。
そのルーツは、明治44(1911)年の「山形市北大火」にあります。
この大火で被災した老舗料亭「千歳館」が、当時は桑畑だった現在の場所へ移転・再建される際、経営者の手によって、料理屋・待合・置屋が三位一体となった「三業地」が計画的に形成されました。
そして大正5年開催の博覧会「奥羽聯合共進会」による爆発的な宴席需要の波に乗り、東北有数の花柳界として名を馳せました。

花街から飲み屋街へ
しかし戦後になると花街としての機能は徐々に縮小。
そこで、かつての置屋や待合といった風情ある和風建築は、
居酒屋、小料理屋、スナック、バーとなり、
現在の昭和レトロな飲み屋街へと姿を変えていきました。



個人的に最も印象的だったのは、丸窓が特徴的な古い建物。
観光名所ではありませんが、こういう何気ない建物に惹かれてしまいます。

まとめ|遊郭と花街が残した山形のもう1つの歴史
小姓町と花小路。
同じ色街でも、その成り立ちは大きく異なります。
小姓町は遊郭として発展し、花小路は芸妓文化を支えた花街として栄えました。
現在ではその役割を終えていますが、石畳や古い建物、地名や神社、そして飲み屋街の風景の中に、その記憶は今も息づいています。
遊郭と花街。異なる形で栄えた2つの色街は消えましたが、その痕跡を辿ることで、観光ガイドには載りにくい山形のもう1つの歴史が見えてきます。

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スポット情報・アクセス
・訪問スポット:小姓町遊郭跡
・住所:山形県山形市小姓町(Googleマップで開く)
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・訪問スポット:花小路
・住所:山形県山形市七日町10(Googleマップで開く)
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