廃墟

炭鉱に殺され、炭鉱に生かされた温泉街・いわき湯本

いわき湯本温泉
chinspotwalker

福島県いわき市にある「いわき湯本温泉」。
ここは有馬温泉(兵庫県)、道後温泉(愛媛県)と並ぶ「日本三古泉」の1つに数えられる温泉地です(別説として和歌山県の白浜温泉を含める説も)。

現在はいわき市を代表する温泉地ですが、その歴史を紐解くと、そこには「炭鉱開発」と「温泉の枯渇」、そして「観光への大転換」という、日本の近代化のある側面を凝縮したような非常にユニークな変遷が刻まれていました。今回は、この街が歩んだ実像を、現地に残る昭和な形跡とともに解説します。

奈良時代から江戸の宿場へ。湯本温泉の古代・近世史

いわき湯本温泉の歴史は非常に古く、718年、この地域に「石城国(いわきのくに)」が置かれた頃には、すでに朝廷に温泉の存在が知られていたと言われています。

いわき湯本温泉
駅前道路にはヤシの木
いわき湯本温泉
温泉地らしく足湯もある

また温泉街の中心部にある「温泉神社」は、平安時代に編纂された「延喜式神名帳」にも記載されている古社で、いわき湯本温泉の歴史の深さを象徴する存在です。

いわき湯本温泉の温泉神社
温泉神社
いわき湯本温泉の温泉神社
のぼりのフォントがおしゃれ

江戸時代に入ると、江戸と仙台を結ぶ浜街道の宿場町、かつ湯治場である「湯本宿」として発展。年間1万7000人から3万人もの湯治客が訪れ、街道屈指の賑わいを見せていたとされています。

1778年には、のちに日本地図を完成させる伊能忠敬が、妻のミチを連れて奥州への湯治旅行に訪れた記録も遺されています。これは忠敬が生涯で唯一、妻とともにした私的な旅とされており、彼がのちに国家的な測量事業に乗り出す遥か昔に、この湯本の名湯が2人の旅路を癒やしていたという、歴史の知られざる1ページです。

明治から大正期にかけては、さらに多くの文人墨客がこの地に滞在しました。
• 田山花袋
• 竹久夢二
• 野口雨情

特に童謡作家の野口雨情は、1915年(大正4年)から約2年半にわたり滞在。この地で詩集「別後」などを発表したほか、当時の湯本での生活や、炭鉱の街としての原風景が、のちの「十五夜お月さん」をはじめとする数々の名作童謡を生み出す創作の原点になったと言われています。

いわき湯本温泉の童謡館
野口雨情の資料館「野口雨情記念湯本温泉童謡館」
いわき湯本温泉
野口雨情ゆかりの地の案内図
いわき湯本温泉
野口雨情散策の路

ハワイアンズの前は「炭鉱の街」だった

現在の「いわき湯本」と言えば、映画「フラガール」の舞台にもなった大型レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」のイメージが定着しています。しかし、昭和中期までのこの地域は、本州最大規模を誇った「常磐炭田」の中心地、すなわち純然たる炭鉱の街でした。

いわき湯本温泉のスパリゾートハワイアンズ
スパリゾートハワイアンズ

明治時代に「磐城炭礦」や「入山採炭」といった企業が次々と設立されると、街は炭鉱景気に沸きます。

ところが、ここでは地下に「石炭」と「温泉」が共存していたため、採炭のたびに大量の温泉水を排出しなければならないという問題を抱えていました。
なんと、石炭1トンを掘るために20トンもの温泉を排水していたとも言われています。
今の感覚だととんでもない温泉の浪費ですが、それだけ当時は石炭が国家を支える重要資源だったということでもあります。

温泉が“消えた”23年間の苦境

かつて、いわき湯本温泉では地下から自然湧出する温泉を「湯壺」と呼んでいました。
しかし炭鉱開発が進むにつれ温泉源が枯渇し、大正8年には自然湧出が著しく衰えてしまいます。
その後、およそ23年間にわたって温泉街は苦境の時代を迎えました。

いわき湯本温泉
湯壺
いわき湯本温泉のイメージ
温泉現が枯渇したイメージ

転機が訪れたのは昭和17年。
炭鉱会社と地元の温泉組合を管轄する「湯本財産区」の間で送湯契約が結ばれ、炭鉱から排出される温泉水を街へ供給する仕組みが整備されたことで、温泉地として再生していくことになります。

つまり現在のいわき湯本温泉は、炭鉱によって殺され、炭鉱によって生かされたという、二面性の歴史を持っています。

石炭から観光へ──ハワイアンズ誕生

1960年代に入ると、エネルギー革命によって燃料の主役が石炭から石油へ移行します。
その影響で常磐炭田も急速に衰退していきました。

危機感を抱いた常磐炭鉱は、生き残りをかけて観光業への転換を決断。1966年、常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)をオープンしました。
当時のキャッチコピーは、
「1000円持ってハワイへ行こう」
(入場料は400円)

いわき湯本温泉のスパリゾートハワイアンズ
スパリゾートハワイアンズ

常磐ハワイアンセンターは高度経済成長期のレジャーブームとも重なり、大成功を収めます。
オープンからわずか5年後の1970年には、年間来場者数155万人を突破しました。

いわき湯本温泉のスパリゾートハワイアンズ
今も大賑わいのスパリゾートハワイアンズ

団体温泉時代の“残照”

ハワイアンズの成功によって、いわき湯本温泉街は昭和後期〜バブル期にかけて団体旅行客で大いに賑わいました。
当時の温泉街には、夜の娯楽を支えるスナックやバー、コンパニオンの置屋、さらにはストリップ劇場などが軒を連ねていました。

いわき湯本温泉
温泉街のスナックやラウンジ
いわき湯本温泉
温泉街のスナックやラウンジ
いわき湯本温泉
置き屋っぽい
いわき湯本温泉
コンパニオン募集(写真は電話番号を加工済)

現在の温泉街の路地裏を注意深く歩くと、壁面を青々とした蔦に覆われた、複数のテナントが入る古い「ソシアルビル(雑居ビル)」の廃墟に遭遇します。
かつては夜間、カラオケの歌声やネオンサインで賑わっていたであろうその場所も、現在はすべての店舗が営業を終え、時代の遺構として静かに佇んでいます。高度経済成長期から平成初期にかけて日本中を席巻した、「団体温泉旅行文化」の紛れもない残照が、ここにはまだ形として残されています。

いわき湯本温泉
異彩を放つソシアルビル
いわき湯本温泉
放置された館内
いわき湯本温泉
蔦に覆われた外壁

まとめ|炭鉱と観光が作った、いわき湯本温泉という街

いわき湯本温泉は、

  • 古代から連綿と続く、日本三古泉としての格式
  • 多くの文人墨客が訪れた文化的な側面
  • 近代日本を根底から支えた、本州最大の常磐炭田
  • 炭鉱の危機を救ったハワイアンズの奇跡
  • 昭和のサラリーマンを癒やした夜の歓楽街

これら多様なアイデンティティが、1本の太い「温泉水」のパイプによって結ばれて形成された街でした。

現在、駅前では2030年に向けた再開発が進んでいます。図書館、市役所支所、温浴施設などを含む複合施設の建設が予定されており、駅前の風景は今後大きく変わっていくことになりそうです。

いわき湯本温泉
再開発が決まっている駅前通り
いわき湯本温泉
再開発に伴い閉館した公衆浴場「みゆきの湯」

しかしながら温泉街の路地裏を歩けば、今も昭和の温泉街の残り香が漂っています。
温泉地でありながら、炭鉱町でもあり、歓楽街でもあった――。
いわき湯本温泉は、そんな複雑で面白い履歴を持つ街でした。

YouTubeで見る

スポット情報・アクセス

・訪問スポット:いわき湯本温泉(外部リンク:観光案内
・住所:福島県いわき市常磐湯本町天王崎39-1(Googleマップで開く
全国珍スポMAP(都市の裏歴史などジャンル別に絞り込みできます)

記事URLをコピーしました