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静岡・二丁町遊郭跡|江戸吉原のルーツと言われる遊郭を訪ねる

二丁町稲荷神社
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富士山とお茶、そして徳川家康が晩年を過ごした駿府城の城下町として知られる静岡。
この歴史ある城下には、江戸時代を通して東海道屈指の賑わいを誇った公許遊郭「二丁町遊郭」が存在していました。

現在では建物はすべて失われていますが、この場所には徳川家ゆかりの意外な歴史が今も眠っています。
今回は、静岡市に残る二丁町遊郭跡を歩きながら、その知られざる歴史をたどってみました。

富士山
新幹線から見た富士山

徳川家康が整備した遊郭

二丁町遊郭の始まりは今から400年以上前、1608年頃と考えられています。
当時の駿府には遊女屋が市中に点在し、風紀や治安の悪化が問題となっていました。
1607年、駿府城へ移った徳川家康は、鷹匠を務めていた伊部勘右衛門に命じ、町中に散らばっていた遊女を一カ所へ集めます。
その際、伊部勘右衛門は京都・伏見から遊女を招き、「伏見屋」という妓楼を開業。
こうして駿府の公許遊郭が誕生しました。

日本最大の遊郭「江戸吉原」の源流は静岡にあった

家康の死後、1616年になると、当時「安倍川遊郭」と呼ばれていたこの遊郭は大きな転機を迎えます。
七カ町で構成されていた遊郭のうち五カ町が江戸へ移転。
これが後に日本最大の遊郭となる「吉原」(元吉原)の始まりだったとされています。
駿府には二カ町分だけが残り、それ以降この地は「二丁町遊郭」と呼ばれるようになりました(名称の由来には諸説あり)。
つまり、静岡の遊郭は江戸吉原のルーツとも言える存在なのです。

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東海道有数の歓楽街へ

二丁町遊郭はその後も大いに発展しました。
十返舎一九「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんが訪れ、「江戸吉原にも匹敵するほどの賑わい」と評したほどです。
東海道を往来する旅人や商人で賑わい、駿府を代表する歓楽街となっていきました。
しかし1945年の静岡大空襲で遊郭街は焼失。
戦後は赤線街として営業を続けましたが、1958年の売春防止法施行によって長い歴史に幕を下ろしました。

家康が造った遊郭に、慶喜が通った

二丁町遊郭には、もう1つ面白いエピソードがあります。

1868(明治元)年、明治維新によって江戸城を去った十五代将軍・徳川慶喜は、駿府(静岡)へと移り住みました。最初は徳川家ゆかりの寺院「宝台院」で謹慎生活を送り、1年後に謹慎が解除されると、宝台院のすぐ近くにあった代官屋敷(現在の料亭「浮月楼」)へ移転。その後、約20年間をこの地で過ごすことになります。

現在は料亭の浮月楼
現在は料亭の浮月楼

その静岡時代、隠居した慶喜が客としてしばしば足を運んでいたのが、二丁町を代表する妓楼「蓬莱楼」でした。

蓬莱楼
蓬莱楼(出典:Wikimedia Commons / Public Domain)

江戸幕府を開いた徳川家康が整備した遊郭に、約260年の時を経て、幕府の幕を閉じた徳川慶喜が客として通い詰める──。
日本の歴史を動かした徳川の「始まりと終わり」が、この二丁町遊郭で不思議な円環を描き、繋がっている。この圧倒的な歴史の巡り合わせとロマンこそ、二丁町を歩く最大の醍醐味と言えるでしょう。

遊郭の痕跡を探して歩く

華やかさを極めた二丁町遊郭ですが、1945(昭和20)年の静岡大空襲によって街一帯は灰燼に帰しました。
戦後は「赤線」の街として速やかに復興を遂げ、かつての「蓬莱楼」や「音羽楼」「初音楼」といった妓楼が形を変えて営業を続けましたが、1958(昭和33)年の売春防止法施行によって、その350年に及ぶ歴史に完全に幕が下ろされました。

現在、遊郭跡地には静岡県地震防災センターや安倍川町公園が整備され、往時の面影は注意深く探さなければ見つかりません。

そんな中、住宅街の片隅に今もひっそりと佇むのが「二丁町稲荷神社」です。
遊郭と稲荷神社は全国的にも縁が深く、多くの遊郭には商売繁盛や遊女たちの守り神として稲荷社が置かれていました。
往時の華やかさを伝える建物は残っていませんが、この小さな社だけが、この場所に遊郭が存在したことを静かに語り継いでいます。

さらに、このエリアから少し離れた場所にあるのが、昭和初期から営業を続けるレトロ銭湯「桜湯」です。
1927(昭和2)年創業という歴史を考えると、二丁町遊郭の時代を知る数少ない現役施設と言えるでしょう。

昭和2年創業の桜湯
昭和2年創業の桜湯

まとめ|吉原のルーツを歩く

現在の二丁町は、ごく普通の住宅街に見えます。
しかし、その土地には徳川家康が整備し、江戸吉原の源流となり、さらに幕府最後の将軍・徳川慶喜も通ったという、約350年に及ぶ遊郭の歴史が眠っています。
華やかな妓楼も、賑わう遊女たちの姿ももうありません。
それでも稲荷神社や街並みを歩いていると、この場所が東海道屈指の歓楽街だったことを想像させてくれます。
駿府城が語る「表の歴史」を堪能した後は、ぜひこの二丁町の路地裏へと足を延ばし、都市の深い「影」を味わってみてください。

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スポット情報・アクセス

・訪問スポット:二丁町稲荷神社
・住所:静岡県静岡市葵区駒形通5-10-15(Googleマップで開く
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